2012年5月27日日曜日

甲子園浜の生物観察


甲子園浜は僕は初めてでした。国指定の鳥獣保護区ということで以前から気にはなっていたものの、なかなか訪れる機会がありませんでした。「行ったことありません」というのがだんだん恥ずかしくなってきて、海辺の自然・インタープリター講座の平日コースがいい機会だったので、みんなで来てみることにしました。

大阪自然環境保全協会会長(当時)の高田先生は、この甲子園浜の保全に関する委員会に関わっておられるとの話を聞いていたので、今回ゲストとして来ていただくことにしました。いつか高田さんに案内してもらいたいと思っていたので、今回は16人も集めることができてよかったです。

阪神甲子園駅から甲子園浜まで徒歩約20分。浜には意外とたくさんの人がぶらぶらしていました。浜は瓦礫と砂という感じで、アサリなどはすでに採り尽くされているとのことでした。

国指定の鳥獣保護区というのはすごいことです。昭和40年代に地元のPTAのお母さんたちが訴訟までして保護した砂浜だということで、まさに市民が勝ち取った生き物たちの楽園です。当時、阪神間の浜はことごとく埋め尽くされていきました。海はすでに汚染され、浜には異臭が漂っていましたが、それでもそこには生き物がすんでいるのだ、命があるのだということを主張され、この場所が残されました。今や残っている浜はほとんどなく、渡り鳥にとっては非常に重要な場所となり、昭和53年に鳥獣保護区に指定されました。

517日はちょうど春の渡りの季節が終わりかけという時期でした。シギやチドリといった渡り鳥たちは、ニュージーランドやオーストラリアから飛んで来て、日本で休憩し、栄養補給をして、シベリアやアラスカへ飛んで行くのです。どれほどたいへんな旅かと思います。休憩しようと思ったところに休憩場所がなくなっていたら、さぞかし困ることでしょう。オオソリハシシギ、キアシシギ、トウネン、チュウシャクシギ、キョウジョシギなどを観察することができました。

甲子園浜の東側エリアは特別保護区に指定されており、4月~5月は鳥類の採餌のため立入禁止となっています。ところが阪神大震災による地盤沈下で砂浜は消失してしまっており、渡り鳥たちの姿は見られません。沖の岩の上などでシギたちが休んでいて、西側の浜に人がいなくなるのを待っているかのようでした。これでは特別保護区の意味がないのですが、沈んでしまったところに砂を再導入するのがすんなりとはいかないようです。特別保護区にはハマヒルガオが咲き乱れていました。

我々は特別保護区ではない、西側の浜で海岸生物を探しました。波打ち際には死にかけのクラゲたち(アカクラゲ、ミズクラゲ、カミクラゲ)がたくさん漂っていました。がれきをひっくり返すと、ケフサイソガニやモクズガニ、ユビナガホンヤドカリ、タテジマイソギンチャクなどが見つかりました。魚はボラの子が多かったですが、すでに死んでしまったアユのこどもも見つかりました。

特別保護区の近くには、コウボウシバとハマヒルガオといった海浜性の植物が群落になっていて、また波打ち際にはたくさんの打ち上げ貝類がありました。テトラポッドが砂に埋もれて頭だけ出していました。このあたりも、観察会をするなら見に来たい場所だと思いました。

甲子園浜自然環境センターでは、その付近で見られる魚の水槽展示や、漂着物や生物標本の展示、フィールドスコープで野鳥を観察できるコーナーなどもあり、有意義でした。今回は研修室をお借りして、参加者のふりかえりをしました。

これまで泉南などの比較的豊かなフィールドに行くことが多かったので、町の中に残された貴重なフィールドに目を向けられたのがよかったという意見や、海岸生物と鳥類の両方を観察できたのでそのつながりも感じられたのがよかったという意見がありました。本当にその通りで、このフィールドの観察会は、ぜひやってみたいと思いました。また、この浜を守ってきた人たちから話を聞いてみたいと思いました。

僕が個人的に興味をもったのは、この海岸に昔は阪神パークの水族館があり、このあたりに散乱しているがれきはその建物の残骸だということです。また戦時中には飛行場があり、その当時の防波堤の残骸も、ところどころ残っています。もちろんそうと言われなければ決して想像もつかないくらいに風化しています。僕はいつも、渚は埋め立ててしまったら元には戻らない、と言っていますが、100年とかのオーダーで見ると、そうでもないのかもしれないなあと思いました。とりあえずがれきでもいいので、大阪湾の埋め立て地の護岸が崩れていってくれたら、、、何世代か先の渡り鳥たちは、もう少し安心して休憩できるかもしれないなあと思いました。

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