2012年5月27日日曜日

甲子園浜の生物観察


甲子園浜は僕は初めてでした。国指定の鳥獣保護区ということで以前から気にはなっていたものの、なかなか訪れる機会がありませんでした。「行ったことありません」というのがだんだん恥ずかしくなってきて、海辺の自然・インタープリター講座の平日コースがいい機会だったので、みんなで来てみることにしました。

大阪自然環境保全協会会長(当時)の高田先生は、この甲子園浜の保全に関する委員会に関わっておられるとの話を聞いていたので、今回ゲストとして来ていただくことにしました。いつか高田さんに案内してもらいたいと思っていたので、今回は16人も集めることができてよかったです。

阪神甲子園駅から甲子園浜まで徒歩約20分。浜には意外とたくさんの人がぶらぶらしていました。浜は瓦礫と砂という感じで、アサリなどはすでに採り尽くされているとのことでした。

国指定の鳥獣保護区というのはすごいことです。昭和40年代に地元のPTAのお母さんたちが訴訟までして保護した砂浜だということで、まさに市民が勝ち取った生き物たちの楽園です。当時、阪神間の浜はことごとく埋め尽くされていきました。海はすでに汚染され、浜には異臭が漂っていましたが、それでもそこには生き物がすんでいるのだ、命があるのだということを主張され、この場所が残されました。今や残っている浜はほとんどなく、渡り鳥にとっては非常に重要な場所となり、昭和53年に鳥獣保護区に指定されました。

517日はちょうど春の渡りの季節が終わりかけという時期でした。シギやチドリといった渡り鳥たちは、ニュージーランドやオーストラリアから飛んで来て、日本で休憩し、栄養補給をして、シベリアやアラスカへ飛んで行くのです。どれほどたいへんな旅かと思います。休憩しようと思ったところに休憩場所がなくなっていたら、さぞかし困ることでしょう。オオソリハシシギ、キアシシギ、トウネン、チュウシャクシギ、キョウジョシギなどを観察することができました。

甲子園浜の東側エリアは特別保護区に指定されており、4月~5月は鳥類の採餌のため立入禁止となっています。ところが阪神大震災による地盤沈下で砂浜は消失してしまっており、渡り鳥たちの姿は見られません。沖の岩の上などでシギたちが休んでいて、西側の浜に人がいなくなるのを待っているかのようでした。これでは特別保護区の意味がないのですが、沈んでしまったところに砂を再導入するのがすんなりとはいかないようです。特別保護区にはハマヒルガオが咲き乱れていました。

我々は特別保護区ではない、西側の浜で海岸生物を探しました。波打ち際には死にかけのクラゲたち(アカクラゲ、ミズクラゲ、カミクラゲ)がたくさん漂っていました。がれきをひっくり返すと、ケフサイソガニやモクズガニ、ユビナガホンヤドカリ、タテジマイソギンチャクなどが見つかりました。魚はボラの子が多かったですが、すでに死んでしまったアユのこどもも見つかりました。

特別保護区の近くには、コウボウシバとハマヒルガオといった海浜性の植物が群落になっていて、また波打ち際にはたくさんの打ち上げ貝類がありました。テトラポッドが砂に埋もれて頭だけ出していました。このあたりも、観察会をするなら見に来たい場所だと思いました。

甲子園浜自然環境センターでは、その付近で見られる魚の水槽展示や、漂着物や生物標本の展示、フィールドスコープで野鳥を観察できるコーナーなどもあり、有意義でした。今回は研修室をお借りして、参加者のふりかえりをしました。

これまで泉南などの比較的豊かなフィールドに行くことが多かったので、町の中に残された貴重なフィールドに目を向けられたのがよかったという意見や、海岸生物と鳥類の両方を観察できたのでそのつながりも感じられたのがよかったという意見がありました。本当にその通りで、このフィールドの観察会は、ぜひやってみたいと思いました。また、この浜を守ってきた人たちから話を聞いてみたいと思いました。

僕が個人的に興味をもったのは、この海岸に昔は阪神パークの水族館があり、このあたりに散乱しているがれきはその建物の残骸だということです。また戦時中には飛行場があり、その当時の防波堤の残骸も、ところどころ残っています。もちろんそうと言われなければ決して想像もつかないくらいに風化しています。僕はいつも、渚は埋め立ててしまったら元には戻らない、と言っていますが、100年とかのオーダーで見ると、そうでもないのかもしれないなあと思いました。とりあえずがれきでもいいので、大阪湾の埋め立て地の護岸が崩れていってくれたら、、、何世代か先の渡り鳥たちは、もう少し安心して休憩できるかもしれないなあと思いました。

2012年5月18日金曜日

海辺の自然・インタープリター講座


「海辺の自然・インタープリター講座」というのをやっています。

大阪湾の水は昔と比べてかなりきれいになっているのですが、汚いと思いこまれているためになかなか海辺で遊ぶとか海の幸をいただくという気持ちになってもらえません。水がきれいになってきたというのは、流域の下水道が整備されたおかげです。でも私たちが目指している「里海」(さとうみ)というのは、地元の人が海で遊び、海で学び、海の幸をいただき、身近な海として大切にしていくという人と海との関係で、まだまだそういう状況は遠いのです。

 水がきれいになっても、埋め立てられた渚は元に戻ることはありません。でもわずかに残された自然の渚や人工的に作られた干潟など、人が海とふれあえる場所が、大阪湾にはほんの少しだけあります。その少しの場所にはそれぞれ特徴があり、それぞれに違った生き物、生態系があります。生き物たちの暮らしぶりも季節によって変化があり、「見ごろ」の時期はけっこう短かったりします。また、交通の不便な場所が多く、危険の多い場所でもあります。

 そんな「生き物とふれあえる渚」で楽しむには、「いつ」「どこに」行くかが大切です。また、慣れないフィールドで楽しむには、多少慣れた人に連れて行ってもらうのが理想で、そこで必要なのは生き物に関する専門的な知識よりも、観察会の運営ノウハウであると思っています。季節の移り変わりと潮の満ち引きを考えあわせ、より楽しく、より学びのあるフィールド体験を提供したいと思います。

 これまで16年間、「海の観察会」というグループで、自然観察会を繰り返してきました。初めの頃は、1回の観察会のために、2回以上の下見と5回以上の打合せをしていたこともありましたが、今では慣れたフィールドでは下見1回、打合せ1回で実施しています。当初は磯の観察会だけでしたが、少しずつプログラムを増やし、今では年に7回にまで増えてきています。でも、海のプログラムは、寒い上に潮の引かない冬場はほとんどできないため、4月から10月の間で、しかも潮の引く日だけで、下見も組み込んでとなると、もうこれ以上の回数は無理という気がしています。

  →海の観察会

それで昨年度、堺2区の観察会を立ち上げるにあたって、別のグループとしてスタートしてみました。メンバーはけっこう重なっていますが、何とか2つのグループで2年目を迎えています。堺2区の方では年3回の観察会をしています。

保全協会にはそれら2グループを含め、大小15ほどの観察会グループがあります。他のグループはいずれも里山や都市公園、河川等をフィールドにしており、海辺ではありません。私の思いとしては、陸の観察会と同じくらいに海辺の観察会を増やしていきたいのです。そのためには観察会グループを率いていけるようなリーダー的なスタッフを養成していく必要があります。

とはいえ、私の勤務の関係で、土日にはこれ以上休めそうになく、今年度は平日の活動をスタートすることにしました。それで「海辺の自然・インタープリター講座~平日コース」を始めました。残念ながら助成金獲得には失敗し、お金をかけずに細々とすることにはなりましたが、新たな観察会グループを作るための勉強をしていきたいと思っています。

それで517日に平日コースの第1回があったのでその報告をしようと思ったのですが、前置きばかり長くなってしまったので、とりあえずインプリ講座のいきさつ紹介ということにしておきます。報告をお楽しみに。

2012年4月26日木曜日

フジツボのおもしろい生態


 潮の引いた岩場にびっしりと付着しているフジツボ。一つひとつは山の形をしており、頂上に穴があいた壺状で、藤壺と名付けられたのだという。貝の仲間と思っている人が多い(実際、昔は生物学界でもそう思われていた)が、実はカニやエビと同じ甲殻類に属する。その証拠に磯あそびでは時々「フジツボの脱皮殻」も見つかる。


普段目にする海面上の姿は休息中で、じっと動かずに潮が満ちるのを待っている。水に浸かると頂上部分のフタが左右に開いて、そこから蔓脚と呼ばれる脚を「熊手」のように広げて出し入れしながら、プランクトンなどのエサを集めるのだ。移動はしないので、この動きを見ないと動物だとは思えない。盛んに蔓脚を動かす姿は、観察会でもなかなか見てもらいにくいが、たまたまゴロ石に付着したフジツボを水槽に浸けてみると、潮が満ちてきたと思ってエサ集めを始めてくれることがある。「生き物が、本当に生きていると実感する」というのは、とても大事な体験だ。


想像してみてほしい。あなたは背中を岩に接着して身動きがとれない。目の前を漂っているエサに手を伸ばしてつかみとり食べる。死ぬまで毎日これである。でも子孫は残さなければならない。海の生き物では、メスの放卵とオスの放精による体外受精はよくある話だが、フジツボの場合は意外にも交尾をするのである。さらに不思議なことにフジツボは雌雄同体であり、すべての個体はオスでもありメスでもある。それなら自家受精ができるのかと思うがそうではなく、わざわざ交尾するのだ。動けないのにどうやって?


想像してみてほしい。あなたは男でもあり女でもある。あなたが背中でへばりついているすぐ隣には、男でもあり女でもある別の個体がへばりついている。肩と肩は触れ合っていても、手を伸ばすことさえできない。でも大丈夫。交尾の時には雌性生殖器がぎゅーんと伸びて、隣の個体に届き、精子を送り込むのである!もちろん自分にもまわりの個体から生殖器が伸びてきて精子が送り込まれ、それで自分の卵を受精させる。隣近所にはたくさんのフジツボがいるので、お互いに精子を配りあうのだが、いろんな相手に対してオス役をしつつメス役をするのはきっと忙しいことだろう。一説では生殖器は体長の8倍も伸び、それは動物界一の比率なのだそうだ。そこまでして体をしっかり固定して波あたりの強い環境に適応してきたというわけである。


交尾のあと、受精卵はノープリウス幼生となり海に放出される。1ヵ月ほど波間を漂った後、キプリス幼生になり、一生を過ごすのに適した場所を見つけて固着生活に入る。この時に大事なのはすでに固着している同種個体の近所にへばりつくことである。確かに、ご近所さんがいないことには死ぬまで交尾ができない。幼生とはいえ、交尾のことまで考えて場所を選んでいると思うとすごい。
キプリス幼生


大型のフジツボは食用にもなり、甲殻類というだけあってエビに似た味がする。食べる機会があればぜひ味見をしてほしいし、同時に6対ある蔓脚と動物界一の生殖器をじっくりと解剖してみてほしい。

2012年4月24日火曜日

自然の見方・とらえ方2012


去年も書きましたが、今年も「シニア自然カレッジ」の第1回「自然の見方・観察について」の授業をしてきました。今回は季節的なタイミングがほんの少し早かったようで、イチョウもマツもサクラも、去年より少し早い感じでしたが、お天気に恵まれ、楽しい1日となりました。

今年もおじいさんおばあさんと呼ぶには若すぎる感じの「ヤングシニア」のみなさん19名が受講されました。少し前までは親の世代と言っていたのですが、もうすっかり世代が変わってしまった感じです。自分がその年に近づいているということですが…。

午前中はいつものとおり、植え込みや街路樹、雑草などを観察しながら、自然の見方・とらえ方というお話をしました。これは私の「ウリ」のプログラムなのですが、今回もかなりいい感じで進行することができました。全員に感想を言っていただきましたが、「感動した」という言葉がたくさん出てきて、うれしかったです。イチョウの花、マツの花、タンポポ、ススメノエンドウの観察が特に好評でした。

午後は、西原公園で、自然を素材にしたゲームをしてみました。こちらもいつものお得意プログラム「1分間ゲーム」「色あわせ」「同じもの探し」をしました。第1回の講座ということで、受講生同士が相談、協力して進めるようなものをやってみたところ、非常に好評でしたが、午前中のような観察の方がよいという方もおられたようです。

今年は講義にパワーポイントを使えるということで、それを作っただけで、あまりバージョンアップはできませんでした。スタッフの方のお話によると、1年間の講座の最後のアンケートで、第1回の私の講座が一番印象に残っているという方もおられるとのこと。来年もますます頑張って、さらによい講座になるようにしたいと思いました。

最後に一言感想を書いていただきました。こちらは主に午後の感想が多いようですが、まとめていただきましたので、以下に紹介します。

・グループで色々な遊びをして楽しかったです。天気も最高でした。

・今日の気付  落葉一つ同じものがない。人も同じだと感じました。本日はほんとうにありがとうございました。

・この教室に参加することが楽しみになりました。

・天候にもめぐまれ、太陽の下で五感を使って楽しく学べ?ました。

・最近年のせいか、命を実感することが多くなりました。いのちには限りがあるが必ず次に(子)受け継がれていくことも理解できることが多くあります。今日も、その時間を沢山もたしていただきました。

・楽しく遊びました。感動もいっぱい感じる事を大切に感性を研ぎ澄ます訓練をしていきたい。

・色々な木の新しい花など知らない事ばかりで身近の木の見方を変えて楽しもうと思います。

・見ると観るとは大違いで、新しい世界が拓けた感があります。これからの授業が楽しみになりました。これからも、これ以外のことにも新しいことに取り組んでいきます。

・一日楽しく遊んでいただきました。(楽しいのが第一です) 

・景観の一部でしかないものと思っていた木々や草が生き物であると気づけたことは大きな収穫になりました。

・五感を使って観ることの大切さや自分の観察力のなさを感じました。これからはもっと季節を楽しめると思います。

・天候に恵まれて楽しかった。ゲームよりも詳しい観察の方がいい。

・自分に対して専門的な知識を持っている人が多いので、いっしょにおつきあいできるか心配だった。しかし、楽しくグループになって楽しめてよかった。何も知らない私でも、楽しくやっていけそうです。

・たとえば楠の葉一枚でもさまざまな色合い、色のミックスの微妙さなど、自然のふしぎさ、豊かさなど感じられました。心豊かにゆっくり向き合っていきたいと思います。

・自然の中の生き物は本当に休みもなくがんばって新芽や花をつけ可愛く、又関心しまして、又皆様に申し伝えたいと思っています。楽しい一日でした。有難うございました。

・第一回の講座で自然の見方、観察についてお話を聞きました。その後のフィールドワークも楽しかったです。

・植物の観察で今まで素通りしていた事柄が興味深く説明してもらい有意義であった。身の回りのものを観察するとのこと、変化を見ることは誰でもできることであり、重要なことと思う。

・よく見る草木でも見えない物が有り 新発見



2012年4月20日金曜日

死に方について


僕が6年前、ボランティアコーディネーターとしてとてもお世話になったボランティアさんが先月お亡くなりになり、昨日お参りに行ってきました。

「医者に見放された」というと語弊があるのでしょうが、最後の1ヵ月間は、治らない病気を治そうとするのをやめ、自宅でだんなさんとお嬢さんの3人で暮らすことを選ばれました。ボランティア仲間との連絡も断ち、自分の病気のことを誰にも知らせず、最後の1ヵ月間を過ごされました。

そういう死に方もあるのだなあと思います。

僕だったら余命1ヵ月とわかったら、いろんな人に会いに行ったり、会いに来てもらったり、楽しかったことを思い出したり、ずっと話せなかったことを話したり、聞けなかったことを聞いてみたり、そんな風に過ごすのではないかと思います。でも、いざそうなったら、どうするかわからなくなりました。

元気だったころの楽しい思い出だけを覚えていてほしい。みんなに心配かけたくない。という気持ちだったとのことです。お孫さんにも会いに来るなと。

やりたいことはまだまだあるから、まだまだ生きたいと思うけど、これまでやりたいことはやらせてもらってきたので、悔いはないと。でも、本当はボランティアではなく、自然に関わる仕事がしたかった、とも聞きました。

僕なんかいつも、自分さえよければいいと思ってしまうので、問題が見えていても見て見ぬふりをしたりしてしまいます。彼女はいつも、みんなのことを考えて、全体がうまくいくように、と考えて、行動する人でした。どちらがコーディネーターかわからないくらい、助けていただいたのを思い出します。

亡くなる前日まで座ってご飯を食べておられ、最後はあっという間だったとのこと。最後の1ヵ月間、家族で自宅で生活できてよかったね、と思ったのですが、だんなさんは「つらかった」とおっしゃっています。でも、つらかったと思うけど、人間として、生き物として、とても自然な最期を家族と一緒に迎えられたこと、それでよかったのだと、それを幸せと呼んでいいのだと、今の僕は思っています。

僕から見たらカッコよく死んでいった彼女。残された僕たち。彼女のことを語り継ぎ、忘れないことが僕にできることだと思っています。

最近、自分の死に方についてもよく考えるようになりました。家族の前で「いつ死ぬかわからん」と言うと、「不吉なことを言ったらあかん。言葉にすると現実になる」みたいなことを言われましたが。

ちょっと前に生き方について書いたと思ったら、今日は死に方について書くことになりました。生き方を考えることは死に方を考えることかもしれないなと思いました。

2012年4月17日火曜日

とある水族館で


とある水族館で、とある動物の赤ちゃんが死にました。それについて書いてみようと思います。とても暗い文章だし、すべての人に読んでほしいと思っているわけでもないですし、あまりお勧めしません。

その赤ちゃんは、生まれて1週間ほどで、衰弱して死にました。その赤ちゃんのことをよく知っている人に聞いた話では、「生きる気力がない」状態だったとのことです。

生まれてから、一向に親の乳を吸おうとしないため、親から離して人工ミルクをやることにしました。哺乳びんから飲もうともしないので、カテーテルというチューブを使って胃に直接流し込みます。でも数日のうちに吐いてしまう。どれだけ栄養を取れているのかわからない。ミルクを欲しがる仕草もない。日ごとに体重が減っていき、静かに息を引き取ったようです。

僕はその赤ちゃんに会ったこともないし、その赤ちゃんの近くにいる人から詳しく話を聞いたわけでもないので、間違っている部分や、思い込みがあるかもしれません。15年ほど前に、よく似たケースに立ち会っていたのでその記憶が強く、そのことについて思いだして書いているだけなのかもしれません。

野生でも、その動物の赤ちゃんは4割しか生き残らないと聞いたことがあります。生まれながらに何らかの障害があったのかもしれません。だから死んでも仕方がなかった、と言われるのでしょう。

「仕方なかった」「飼育係や獣医のせいじゃない」「気にしなくていい」もちろんそうなのでしょう。飼育係はそうやって、死んでしまった飼育動物について、自分のせいじゃない、自分が死なせたんじゃない、自分が殺したんじゃないと、思おうとすることがあります。思おうとするというより、迷わずそう思っていることの方が多いかもしれません。

僕は、水族館の動物が死んだら、どんな死に方であったにせよ、「飼育係が殺した」と思うことにしています。赤ちゃんの世話をもう少しうまくやっていたら、母親の妊娠期間に母親の精神状態をもう少し穏やかにしてあげられていたら、、、もしかしたら赤ちゃんはもう1日生きていたかもしれません。さらにもう1日、2日、、、今でも生きていたかもしれません。可能性がないとは言えないという意味です。プロなら、そこで「仕方なかった」と言ってはいけないと思っています。

僕も自分が飼育係だった時、「仕方ない」と言われる状況で、また「こうしていたらあと1日生きたかもしれない」と思うような状況で、何度も動物を死なせてきました。いや、殺してきました。だから「飼育係が殺した」と言う僕の言葉は、自分自身に対しての言葉です。飼育係として働いた時期は、そうして繰り返し傷ついた時期でした。うれしいこともいっぱいあったし、自分ががんばったことで動物が長生きしたり、死ななかったこともあったでしょう。でも、覚えているのは、心に残っているのは、しんどい思い出ばかりです。

それで僕は「なぜ動物を飼わなくてはならないんだろう」と思うようになったのです。また「飼育されている動物たちはかわいそうだ」と思うようになりました。他の飼育係はあまりそうは思わないようで、それはたぶん、僕のようには傷ついていないからなのかもしれません。「仕方ない」と思うことで傷つかないで済むのかもしれません。

「自分がこんなに一生懸命飼育しているのだから、動物は幸せなはずだ」と思える人は幸せなのでしょうか。「野生の状態とできるだけ同じ状態で生活できるように環境を整えることで、動物の福祉は向上する」といって、動物が幸せだと本気で思えるのでしょうか。刑務所の壁を透明にして健康食品を食べさせるようなものです。

死ぬまで動物を飼うということは、長い時間をかけて動物を殺すことです。水族館の動物たちは、連れて来られて、檻に入れられて、人間の都合で飼い慣らされて、かわいそうなのです。私たちは水族館という楽しい施設を、動物たちのそんな犠牲の上で運営しているのです。

だから水族館はもうこれ以上作ってはいけないと思います。将来、減らしていけばいいと思います。そして今ある水族館は、せめて自然環境のために、彼ら動物たちの本来の生息地を守るために、そのための環境教育に水族館を使わなければ、許されないと思っています。僕が僕自身を許せないということでしょう。

僕はそのためにしか今ここにいたくありません。

「野生から生き物を捕ってこなかったらいいのだ、繁殖させればいいのだ」なんて、少し考えてみれば、何の言い訳にもなっていないことがわかります。少なくとも僕にとっては意味はありません。水族館で生まれたアザラシは本物の海を見ることなく死んでいく、それでいいのでしょうか。

「捕ってきても、数年間飼育して、死なさずに野生に戻せばいいのだ」というのは、百歩譲って、許せるかもしれません。実際、ジンベエザメの飼育をそんな考え方でやっているところもあるようです。でも、他の動物では、そんな面倒なことはされないでしょう。

死んでしまった赤ちゃんの話に戻ります。水族館にもよりますが、この赤ちゃんが生きていて、展示に成功していたら、大きく発表して、宣伝するところだったでしょう。でも、発表する前に死んでしまったこの赤ちゃんについては、死んだことも、ましてや生まれたことも、発表されることはありません。「これまで生まれた赤ちゃんの数」にも数えられないでしょう。

世の中の誰もが、死んだ赤ちゃんのことなど、隠しておいてほしいと思っているのです。水族館で、毎日のように動物たちが死んでいっていることなど、知りたくもないのです。水族館は楽しくて、生きていることだけが感じられるところであればいいのです。

「動物を殺しているのは飼育係」と言いました。でも、僕はサラリーマンです。僕の給料は、水族館の運営費は、お客さんの払った入館料から来ています。お客さんが、お金を払って、僕に動物を飼ってもらっているのです。動物を殺しているのは本当はお客さんかもしれません。だからこそ動物が死んだことは、できるだけ隠してほしいのだと思います。

僕は少なくとも、僕の信じている人たちには、自分が何らかの形で、動物たちをかわいそうな目にあわせている、ということをごまかさないでほしいと願っています。別に、普段から意識してほしいなんて思いませんし、水族館は単純に、純粋に、楽しんでいただいたらいいと思います。でも、「そうだろ」と言われた時に「そうじゃない」とは言わないでほしいんです。矛盾しているかもしれませんね。

「本当はこうあるべきなのに、今は残念ながらそうではないのです。」ということを認めないといけないと思います。「内心忸怩」という言い方が適切だと思っています。

でも、強がらないためには、強さが必要なのですよね。みんな弱いから、強がるしかないのでしょうか。

飼育係のことを言っているのか、一般のお客さんのことを言っているのか、わからなくなってきています。自分はこんなことを伝えたいと思っているのかどうかも、よくわかりません。少なくとも飼育係には、そういう意識を持ってもらえたらと思います。わからない人にはわからない話だと思いますが…。



こんなこと言いながらも、今の仕事をもう少し続けてみようとは思っています。今のところやりたいようにはできていませんが、信念を曲げて仕事をさせられていると感じているわけでもないです。もっといい仕事があればと思いますが、家族のこととか考えると、自分の好き放題する年齢でもないなあとも思います。


2012年4月1日日曜日

保全協会が公益社団法人に


私がボランティア活動をしている団体が、今日から、公益社団法人になりました。お誕生、おめでとう!

これまでの社団法人は、一般社団法人と公益社団法人のどちらかになるということで、私たちは公益を選んだということです。これまでも公益のための団体として活動してきたので、協会としてのスタンスがそれほど変わるわけではありませんが、これまで以上に公益を意識して活動していくことになります。

これまで3年ほどかけて、理事会メンバーなどで準備をしてきました。定款を変更したり、規約を作ったり、協会内のグループの組織の再編をしたりと、自然保護とは全然関係のない作業はけっこうたいへんです。一般社団法人なら、そういうたいへんなことはほとんどないのですが、公益を選ぶのはたいへんなことなのでした。

公益法人になると、寄付を受ける時に控除があるので、寄付をもらいやすいというメリットがあります。もちろん、公益事業をする時の大きな信用になるということもあります。これまで公益の活動をしてきたという意地みたいなものもあって、公益法人を選んだのです。

今日でようやく登記が終了してスタートですが、今後もまだまだ移行の作業が続きそうです。理事会も委任ができなくなり、休みにくくなります。

とはいえ、これまでの法人を一旦廃止して、新たな法人を立ち上げたのですから、理事として、生まれ変わった気持ちで頑張っていきたいと思います。名刺も作り直して、心機一転です。



ちなみに、これまで社団法人は(社)と略していましたが、今後は(公社)となるそうです。ますます行政の外郭団体っぽくなって誤解されてしまいそうですが、れっきとした市民団体です。補助金も何ももらっていません。誤解を招かないように(公益社)と略すると、今度は葬儀屋さんに間違われそうですし、しっくりこないけれど仕方ないですね。